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著者 渡邉雄蕉
すでに七十三年前になるが、桑原武夫は昭和21年9月雑誌「世界」に、第二芸術論を発表し
た。当時の俳句界の指導者に対する痛切な批評、ないし警告でもあった。
そこで、この出来事を、歴史的事象として振り返ってみることにした。大変古いことなので、以
下に桑原の論文要旨を抜粋しておく。
なお、桑原武夫(1988年没)はフランス文学者、文芸評論家、文化勲章受章者。
この記事に関する俳句界の指導者の反応について。
@桑原の論文発表時の年齢は四十二歳、専門外の分野に対する批評だったためか、俳句界の指導
者は軽く取り扱おうとしたのかもしれない。意に介さずといったところだ。ただし、これは甘え
た態度でもある。
A桑原の指摘は概ね実態を反映していると認めたが、指摘内容が論理的でなく、扇情的だったた
め、無視することにした。これも軽率な態度である。
B桑原の批評は、俳句が芸術軽視の原因となっているかのような論理の展開だったので、俳人の
苦労が分からないのかといった論調で応酬した。これは短慮というしかない。
今となっては、詳しい状況は不明だが、全体として、多少のやり取りはあったものの、俳句界が
変化することはなかった。
このような経緯を踏まえて、第二芸術という指摘に対して、どう受け止めるべきだったのか、そ
のあたりを考えてみたい。
1 俳人の基礎知識
俳句を作ろうと思ったら、最初に読むのが、桑原武夫の「第二芸術論」であろう。
この論旨は後述するが、俳句がどのようにみられているか、それを理解したうえで、俳人の道
を歩むのがよろしいと思われる。
第二芸術論は、俳句界の指導者に対する論評であるが、俳句を詠む人たち全体が考えなければ
ならないテーマでもある。
俳句における芸術性は、どうしたら担保できるのか、それを初心者のうちから胸に秘めておくべ
きであろう。
俳句は、日本語を知っていれば、誰でも作れる。そこで大事なことは、何か良くて、何が良くな
いのか、その区別をすることである。そのために必要なものは何か、そういうことに思いが至ら
なければならない。
俳句は芸術である。しかし、芸術としての俳句を詠んだ人は少ない。江戸時代の人では、芭蕉
と蕪村である。
なぜ、芸術としての俳句はなかなか作れないのか、その理由を考えておくことは大切だ。
絵を描く人は多いが、芸術作品は少ない。作詞・作曲する人は多いが、芸術的な音楽を残す人
は少ない。俳句も同じだ。
芸術的な俳句を詠もうとすれば、何が芸術なのかについての識見が求められる。俳句に取り組
んだ日から、芸術という課題がのしかかる。
現実の俳句は、句会で発表される。多くの仲間ができるので、イベントとしての面白さや楽しさ
もある。俳句は同好会としてのレジャーの役割も果たす。
俳句を詠むことで、皆と意見を交わし、人生の楽しみにするということ。それは、それでよろ
しいと思われる。
しかし、良いものを作ろうとするなら、芸術精神に対する論考と実践は避けて通れない。俳句
芸術について、基礎的教養として身につけるべきであろう。
この小論はそのためのものである。
2 桑原武夫の「第二芸術論」抜粋
咳くとポクリッとべートヴエンひびく朝 草田男
爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り 井泉水
椅子に在り冬日は燃えて近づき来 たかし
腰立てし焦土の麦に南風荒き 亜浪
防風のここ迄砂に埋もれしと 虚子
これらの句を前に、芸術的感興をほとんど感じないばかりか、一種の苛立たしさの起こってく
るのを禁じ得ない。
これらの句のあるものは理解できず、私の心の中で一つのまとまった形をとらぬからである。
私にはまず言葉として何のことかわからない。私の質問した数人のインテリもよくわからぬと
いう。
これらが大家の作品だと知らなければ、誰もこれを理解しようとする忍耐心が出ないのではなか
ろうか。
わかりやすいということが芸術品の価値を決定するものでは、もとよりないが、作品を通して
作者の経験が鑑賞者のうちに再生産されるというものでなければ、芸術の意味はない。
現代俳句の芸術としてのこうした弱点をはっきり示す事実は、現代俳人の作品の鑑賞あるいは解
釈というような文章や書物が、俳人が自己の句を解説したものをも含めて、はなはだ多く存在す
るという現象である。
風俗や語法を異にする古い時代の作品についてなら、こういう手引きの必要も考えられぬこと
はないが、同じ時代に生きる同国人に対して、こういうものが必要とされるということは、そし
て詩のパラフレーズという最も非芸術的な手段が取られているということは、よほど奇妙なこと
といわねばならない。
こういうことを言うと、お前は作句の経験がないからだという人がきっとある。
そして『俳句のことは自身作句して見なければわからぬものである』という(水原秋桜子「黄
蜂」二号)。
ところで私は、こういう言葉が俳壇でもっとも誠実と思われる人の口からもれざるを得ぬという
ところに、むしろ俳句の近代芸術としての命脈を見るものである。
しかし、俳句に限っては、『何の苦労もせずして、苦労している他人に忠告がましい顔をして
物を言うことはないと思う』(秋桜子、同上)というような言葉が書かれうるのは、俳句というも
のが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事だということをよく示している。
私と友人たちが、さきの句を前にして発見したことは、1句だけではその作者の優劣がわかり
にくく、一流大家と素人との区別がつきかねるという事実である。
『防風のここ迄砂に埋もれしと』という虚子の句が、ある鉄道雑誌にのった『囀や風少しある峠
道』や『麦踏むやつめたき風の日のつづく』より優越しているとはどうしても考えられない。真
の近代芸術にはこういうことはないであろう。
私はロダンやヴルデルの小品をパリで沢山見たが、いかに小さいものでも帝展の特選などとは
はっきり違うのである。
ところが俳句は一々俳人の名を添えておかぬと区別がつかないという特色をもっている。
日本で芸術が軽視されてきたのは俳句のごとき誰にも安易に生産されるジャンルが有力に存在
したことも大きな理由である。
芸術は自分たちにも楽にできる。ただ条件がよかったために作句に身を入れたものが大家といわ
れているので、自分たちも芸術家になり得た筈だ、芸術はひまと器用さの問題だと、考えられる
ところに正しい芸術の尊重はあり得ず、また偉大な芸術は決して生まれない。
3 坂口安吾の「第二芸術論についての評論」要旨抜粋
近ごろ青年諸君からよく質問をうけることは俳句や短歌は芸術ですかといふことだ。私は桑原
武夫氏の「第二芸術論」を読んでゐないから、俳句や短歌が第二芸術だといふ意味、第二芸術と
は何のことやら、一向に見当がつかない。
むろん、俳句も短歌も芸術だ。きまつてるぢやないか。芭蕉の作品は芸術だ。蕪村の作品も芸
術だ。啄木も人麿も芸術だ。
第一も第二もありやせぬ。俳句も短歌も詩なのである。詩の一つの形式なのである。
然し日本の俳句や短歌のあり方が、詩としてあるのぢやなく、俳句として短歌として独立に存
し、俳句だけをつくる俳人、短歌だけしか作らぬ歌人、そして俳人や歌人といふものが、俳人や
歌人であつて、詩人でないから奇妙なのである。
俳句は十七文字の詩、短歌は三十一文字の詩、それ以外に何があるのか。
日本は古来、すぐ形式、型といふものを固定化して、型の中で空虚な遊びを弄ぶ。
然し流祖は決してそんな窮屈なことを考へてをらず、芭蕉は十七文字の詩、啄木は三十一文字三
行の詩、たゞ本来の詩人で、自分には十七字や三十一字の詩形が発想し易く構成し易いからとい
ふだけの謙遜な、自由なものであつたにすぎない。
けれども一般の俳人とか歌人となるとさうぢやなくて、十七字や三十一字の型を知るだけで、詩
を知らない、本来の詩魂をもたない。
俳句も短歌も芸術の一形式にきまつてゐるけれども、先づ殆ど全部にちかい俳人や歌人の先生方
が、俳人や歌人であるが、詩人ではない。つまり、芸術家ではないだけのことなのである。
俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。
たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもた
ない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないとい
ふだけの話なのである。
4 「第二芸術論」の指摘・論旨
桑原武夫がいう第二芸術とは、芸術性が低いという意味である。問われた坂口安吾も答えに窮
したような見解を示している。
形にとらわれて、詩情という芸術を解さない俳人、歌人ばかりであるという指摘は鋭い。
俳人や歌人の多くが芸術家ではないと指摘している点は、両者共に同じ。
芭蕉には芸術魂があったが、一般人は形だけにとらわれているという。
桑原の主な指摘点は次の通り。
@俳句は家元制度のようなもの。
A 作品ひとつだけでは作家の優劣を判定できない。
B 俳句があるため、芸術が軽視された。
以上、三点のうち、@とAは的を射ているが、Bは論理の飛躍が感じられる。
指摘点の@は有能な俳人が収入を得るために考え出されたもの。会費や謝礼金といった形で集
められる。
主宰と同じ句風の人や気の合う人が側近として重用される。結果として、同じ会の人は主宰が好
む作品を生み出すようになる。
指摘点のA。桑原の分析によれば、高名な俳人でも、駄句が多いということになる。
桑原は高名な俳人と素人の作品の芸術性を比較して、俳人が素人に負けていると断定した。
しかし、桑原のそうした論理の組み立て方に問題があるのではないか。
桑原が取り上げた作品は適当に選ばれたもの。それは俳句批評に対する手法として、妥当なこと
なのか、疑問が残る。
5 大家と素人の作品区別
冒頭の俳句を例にとり、桑原が指摘した点、「一流大家と素人との区別がつきかねる」という
ことを考察してみる。
桑原の論旨は俳句の本質を理解していないと受け取られても、やむを得ないような論理構成と
している。
なぜかというと、俳句を読めば、誰でも、俳句の詠み手と同じ心境が再生産されると考えている
が、これは間違っている。
詩文は国語辞典の知識だけでは不十分で、鑑賞力なる芸術批評能力がなければ、楽しめない。鑑
賞力はある種の才能であり、誰でも平等というわけにはいかない。
俳句は余情を楽しむものなので、良しあしは俳人と同じ程度の文学知識、能力がなければ、正
確に鑑賞できない。また、批評できない。
俳句の評価は一義的に定まらない。それは新聞掲載の選者による選句が、ばらばらになってい
ることを見ても、お分かりいただけるだろう。
ということで、俳句を芸術品として鑑賞するためには、相当の努力が必要になる。あるいは、
優れた才能を持つ文芸批評家に教えてもらわなければならない。
ほかの芸術作品は、もっとわかりやすい。絵画、彫刻、音楽、小説、演劇、オペラ、映画な
ど、あらゆる芸術作品は素人が見ても、完成した形で、披露される。
しかし、俳句は、一筋縄ではいかない。俳句を読んで芸術だと感じるのは、読み手にかかって
いる。
俳句は最も短い詩であり、詳しい説明はしない。十七文字という、あまりにも短いために、芸
術品としての取り扱い方に、独特な鑑賞方法が必要になった。
文芸全般にわたる教養を身に付けず、俳句だけを暗記すればよいというような、形だけにとら
われる人が多くなった。
桑原も同じような立場で論じている。俳句の本質を軽薄に理解して、第二芸術という扇情的な結
論を出した。
穿っていうと、桑原は雑誌の記事ということを考えて、一般人の軽薄さを利用して、議論を進
めたと思われる。
文芸理論を駆使して、俳句を批評するのではなく、誰でもわかるような形で、第二芸術だと指摘
したほうが、文芸知識のない人たちの賛同を得やすいと考えた可能性もある。
だが、そういう安易な手法を使えば、俳人の厳しい反論が予想されるが、実際は、第二芸術と
いう結論に平伏してしまったかのようだ。
桑原が、冒頭の句に対して、良くないと感じられたのであれば、論理の組み立て方に工夫が必
要だ。このような安易な手法による批評では、俳句に対する教養が不足しているとみなされる。
といって、一流大家の句も、すべて同レベルということではない。たくさんあれば、作品自体に
優劣の差はある。
ただし、大家の句は、素人よりも、芸術の成熟度が高いのは、自明の理だ。冒頭の句には俳句
作家としてのエネルギーがみなぎっている。それを感じ取る教養が求められる。
別の見方をすると、当時は写生といった手法の俳句がまかり通っていた。写生の俳句は、感性
を含まない。そうすると、余情が生まれないので、芸術的に低くみられる傾向がある。
虚子も、客観的写生などということを言っていた。虚子の冒頭の句は写生俳句なので、桑原は駄
句と論じたものであろう。
桑原は、素人と大家の句を並べて、何を感じて、優劣を決めたのか。それが全く示されていな
いので、これ以上の分析はできない。
ただ、日本語としての意味が分からないとか、詩情が感じられないという感想をみる限り、大衆
迎合的な発想で、論理を展開した。
詩人魂を持つ俳人は、言葉に、異常なまでに執着している。短いので、言葉に命を懸けてい
る。要するに、言葉の一つ一つに、深い意味を持たせるように工夫している。
言葉は日本の歴史を背負っている。言葉には先人の喜怒哀楽が詰め込まれている。詩人は一つ
の言葉に、魂を揺さぶるエネルギーを何重にもまいて、句としてまとめている。
6 俳句鑑賞の錯覚
俳聖といわれた松尾芭蕉を例にして考えてみる。手元の資料によると、芭蕉が残した句は97
6、他に推敲過程で残された句が416。しかも、推敲過程で生み出されたものが、完成品の半
分近くある。おそらく、記録として残らなかったものはさらに多くあるだろう。
芭蕉はあるときから、芸術家を目指すようになった。芭蕉が俳人を卒業し、芸術家の域に達し
たのは「おくのほそ道」という旅行記を完成させたことによる。
芭蕉以前の俳人は俳句をつくり句集を残したが、芸術家になれなかった。そういう意識、使命感
もなかった。
桑原や坂口がいうとおり、俳句をつくるだけでは、詩情を表現する芸術家とはいえない。俳句
を芸術にするためには俳人が詩魂をもち、哲学を表現する必要がある。
桑原が選んだ句も、味わい深いものがある。俳句は句会で発表される。その状況を踏まえて、
評価しなければならない。
俳句は会話のようなものなので、挨拶、感嘆、追悼などといったものがある。わかりやすく言う
時もあれば、畏まって言う時もある。
したがって、適当に選んで、他人の句と比較しても、簡単に優劣が明らかにならない。俳句は
十分な教養を持たない人が評価するのは難しい。
さらにいえば、読み手が俳句の意味を完全に理解することはできない。真意は作者しか、分か
らない。
さらに俳句表現が適切かどうかも決めかねる。俳句とは余情を楽しむもの、意味は曖昧なもの、
それが特徴なのだ。
桑原は、こういう考え方をおかしいというが、文学的素養を持たない判断は、芸術的価値判断を
誤る危険性があるということに、耳を傾けるべきである。
一般的に、一句で、高名な俳人なのか、素人なのか、それを判断するのは無謀である。それは
錯覚を肯定することになる。
ここでいう俳句評価は、句会における選句や新聞の俳句欄での選句を否定しているわけではな
い。
選者が自身の判断で、優劣を論じて発表することは妥当なものである。句自体の優劣は一過性の
ものとして、論じるに値する。
だが、一句だけで、俳人の優劣を判断しようとするのは、俳句の特質を理解しているとはいえ
ず、それは愚かでもある。
また、高名な俳人の言葉は特殊な意味を含むことがある。したがって、国語辞典に乗っていな
い教養を持たなければならないが、といって、それを作品の鑑賞者に強要しているわけではな
い。
ただ、そういう側面が出てきやすいのが、俳句という芸術なのである。こういう事情を無視し
て、一流大家の作品を貶めるのは浅はかというほかない。
7 俳句解説の必要性
桑原武夫の疑問、どうして同時代の作品であるのに俳句の解説が多いのか、その理由について
述べる。以下は、次の句に対する解説である。
梅雨晴や今朝の名残の潦 あきこ
本句の潦という言葉に強い印象を受けた。にわたづみという読みかたにも注目した。
どういう意味なのか。にわたづみを分解すると、「庭」+「立つ」+「水」になる。立つは夕立
と同じ。庭にたまった水ということである。
万葉集に、唯一例として、次の歌がある。
はなはだも ふらぬ雨ゆえ にはたつみ いたくな行きそ 人の知るべく
(万葉集巻7 1370)
歌の意味。そうたいして降らぬ雨なのに、庭の溜まり水よ、勢いよく流れていかないで。人の
目に気づくほどに。
「はなはだも」は多い、「ふらぬ雨ゆえ」は雨が降らない。通すと、雨が激しく降ったわけで
もないのに、の意。
「いたくな行きそ」は甚だしく行かないで、「人の知るべく」は他の人が気がつくように、との
意。通すと、人に分かるように、大げさに帰っていかないでという意。薄情な男に対する女の恨
み言とされる。
この歌は万葉集巻7「譬喩歌」雨に寄すと記されており、「雨」を譬喩の素材に用いた恋愛の
歌である。
「はなはだも ふらぬ雨ゆえ」とは「男の薄情」の譬喩。そして、「にはたつみ」を涙の譬喩
とみることもできる。庭にたまった水は作者の涙、世間の噂の譬喩、あるいは、男の意という解
釈もある。
一般的に、この歌は後朝の女の気持ちを詠んだものとされる。全体を通していえば、足繁く通
ってくる深い関係でもないのだから、他の人には知られないように、そっと帰って欲しいという
もの。
万葉集には「にわたづみ」の使い方として、枕詞がある。全部で5例のうち、3例を示す。た
だし、「にはたつみ」でなく、「にはたづみ」である。
み立たしの 島を見る時 にはたづみ 流るる涙 止めぞかねつる
(万葉集巻2 178柿本人麻呂)
常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
(万葉集巻19 4160大伴家持)
遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
(万葉集巻19 4214大伴家持)
これらを見る限り、にわたづみは涙の装飾語と考えられる。
参考までに、涙を流す原因について、述べておきたい。
(巻2 178柿本人麻呂)は仕えた草壁皇子の死を悼んだもの。皇子は持統天皇の長男。皇
子の死後、母親である持統天皇が即位した。
(巻19 4160大伴家持)は世間の無常をテーマとした長歌で、時の過ぎゆく早さ、人生
のはかなさを詠ったもの。
(巻19 4214大伴家持)は挽歌、すなわち知人の死についての悲しみである。根底にあ
るのは、世の無常。
3首に詠われた「にはたづみ流るる涙」は深い悲しみを表している。
以上の解釈を踏まえて、改めて句の意味を考察してみる。表向きは、久しぶりに梅雨が止んで
晴れた朝、庭に水たまりがあるというもの。こういう解釈だと、あまり詩情が感じられない。
しかし、万葉集を踏まえて、にわたづみを涙の比喩とすれば、心残りの朝を詠んだものとな
る。さらに、男の比喩とすれば、妖艶な朝となる。
文学的にはどちらが優れているのか。豊かな詩情を受け止めるためには様々な知識が要求され
る。言葉は日本人の歴史であり、心象が詰まっている。潦という言葉を選ぶことにより、俳句は
芸術に昇華される。
梅雨晴れは文字通りの意味ではなく、作者の心を表現したもの。梅雨に濡れた心のもやもやは
消えてなくなり、今日の空のように、雲一つ無い快晴になった。これからは涙を流すこともない
が、ふと家の前に目を向けると、名残の潦がある。少量の水だから、それは私の涙のように、す
ぐに消えてしまうにちがいない。
こうして、後朝の女は妻の座を約束された安堵感につつまれた。本句が平安時代のものなら、そ
ういうことになる。
だが、これは現代の句だから、奈良時代や平安時代の女の気持ちとは異なるが、こうした感性
は現代にも通じる。
潦という言葉を使うことにより、日本人の歴史が読者に覆い被さってくる。この威圧感が芸術の
真価である。心を揺さぶる言葉の突き上げが俳句の真骨頂であろう。
以上のような知識が、ただちに思い起こせなければ、俳句を鑑賞したことにならない。
俳句や短歌を芸術的に理解するためには言葉の意味や使い方について熟知する必要がある。本当
の感動を味わうための情報として、俳句や短歌の解説文が氾濫していると考えられる。
通常、私たちは国語事典に書かれている意味程度で、言葉を理解したと考えている。しかし、
言葉の成立や歴史に対する知識が無ければ、百回読んでも、感動は浅いものになる。
俳句や短歌の説明が多いのは、通常は気がつかない感動の源泉を知らせることにある。
言葉数が少ない詩の場合、一つ一つの言葉に対する思い入れが深まるのは必然の成り行きであ
る。俳人や歌人は、それを説明しなければならないという思い入れがあるようだ。
桑原武夫の疑問は軽薄な理解から生まれたものである。
8 第二芸術論の虚しさ
桑原の第二芸術という指摘は安易な手法であるが、その結論は誰でも納得できるものだった。
そのため、大半は、俳句界の現状を追認することになり、第二芸術論の衝撃に屈してしまった。
仮に、桑原の指摘が妥当なものとしても、結論ありきのもので、その証明方法は適切ではなか
った。
それなのに、桑原の論理に疑問を持たず、ただ結論に恐れおののき、沈黙を守るようになった。
俳句界は精神的に萎縮し、反論もできなかった。
数少ない反論を桑原が紹介している。『俳句のことは自身作句して見なければわからぬもので
ある』『何の苦労もせずして、苦労している他人に忠告がましい顔をして物を言うことはないと
思う』という秋桜子の反論は、してはならない典型的なもの。でも、立派である。
桑原の論文執筆の動機を探ってみる。念頭にあったのは正岡子規と高浜虚子の違いであろう。
病魔に倒れた子規は、尊敬できる真の俳人であった。それに対し、虚子は世渡りに力を注いだた
めに、芸術家ではなくなった。家元になってしまった。
子規も、虚子の芸術に対する姿勢については不満だったようで、後継者にすることについて、
葛藤があったことが知られている。冒頭の句を詠むようになって、桑原の批評精神に火が付き、
論文に反映されたと思われる。
第二芸術論に対して、対決する責任を負っていたのは、高浜虚子である。昭和29年には文化
勲章を受章している。
生涯に二十万句詠んだとされるが、そのうちの一句がやり玉に挙げられた。
芸術家は、作品に対する批評にはきめ細かく対応すべきである。それを放棄したことは誠に残
念でならない。
しかしながら、私は、日本人として、第二芸術論の論旨には賛同できない。
俳句や和歌は日本語による芸術である。長い歴史を持つ文化として成立していることからみて、
日本人の感性の豊かさを育んできたもの。わが国の伝統芸術として、誇りを持つべきである。
ただ、現状を顧みると、第二芸術論で指摘されたこともみられるので、自浄作用を発揮すべき
であるが、俳句作家の数は大変多いので、今後も解決されることはないだろう。
もともと趣味で俳句をやる人が大部分なので、好き勝手にやればよいといった意見が強いかもし
れない。
桑原が指摘したことは日本社会の特質を述べたものだ。
俳句や和歌の世界が、日本社会の因習から、逃れることはできない。同様に、他の芸術分野に
も、日本社会特有の様々な問題がある。
家元制度のようなものは、日本社会のあらゆるところにみられることで、俳句だけを批判する
のは、短慮というもの。
俳句の大家と素人との区別ができないということだが、それは俳句の特質に大きくかかわって
いる。他の芸術作品は完成品が残され、失敗作は破棄されるが、俳句はすべて残される。
また、俳句や和歌は作家と同じ力量がなければ、その感性を、鑑賞者が再生産できない仕組み
になっている。そういう特質を持った芸術である。
それゆえ、大家の一句を取り上げて、単純に比較することは、無謀である。評価方法として、正
統性がない。
さらに、堕落した世界から生み出された作品だから、芸術品として劣るという考え方は、芸術
鑑賞者として、批評の根源を見失っている。
芸術品は、どのような環境で生み出されたとしても、評価が変わることはない。作品の作成過程
は芸術評価に影響を与えるものではない。
そういうことを考えると、桑原の指摘は一見正しそうに見えるが、実は日本社会の特質を、俳
句や和歌の世界にあてはめて批評したものに他ならない。
したがって、桑原の指摘は概ね実態を指摘したものと受け取られるが、だからといって、俳句
の芸術作品の評価が揺らぐことはなく、第二芸術という意味不明の指摘は的外れの評論といえ
る。
(了) |
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