第4篇 俳句芸術論 その4

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第4篇 俳句芸術論 その4
             著者 渡邉雄蕉

1 老人俳句との決別 

老人俳句とは何か。次の句を考えてみる。
@狭まりし歩幅にやさし春の土
A下萌えの息吹伝える杖の先
これは歩幅が狭くなる、あるいは杖を使って歩くといった老人特有の状態を表現したもの。
老人は様々な人生経験を踏まえ、老人特有の心境に至るので、俳句で人生の哀愁をうまく表現
できる素地を持っている。

若い人たちは経験不足のため、真似のできないことである。こうして、老人は俳句の世界で指
導者となる。

すると、次のような句になる。
B句に賭けし青春遠し桐の花
C亀鳴くや夢に終わりし数学者
この句の印象としては、回顧と諦観である。何か希望が無くなったような気持になる。これは
自虐的な印象もある。

つぎに、動物を取り上げて、自分自身を投影し、さらに、みじめさを強調する。
Dわが猪の猛進をして野に躓く
E石柱さびし女の首にこおろぎ住み
これらは元気で長命だった金子兜太の句であるが、若い人たちには到底作りえないものになっ
ている。

また、老人は笑いの対象にもなり得る。

・初春の恋の高まり不整脈
・無農薬食べ薬屋の初売りへ
・アーンして愛より介護冬来る
・クリスマス寝るぞと言えば安らかに
・木枯らしの同窓会は薬漬け
・繰り返し言うも初耳老人の日
・いびきより静かは不安鬼やらい
・初電話友は思わず「生きてたの」
・大晦日忘れ物まだ見つからず

誰でも年を取るので、皆の共感が得られる。その通りという評価が聞かれる。
しかし、これでよいのかという疑問がわく。俳句の効能のひとつは、不幸な感性をまろやかに
して、清めあげて、無害なものにすることだ。

老人になることは、当たり前のことであって、長く生きたという喜びでもある。
社会的にも尊敬される立場なので、自虐はみっともない。せいぜい、謙虚さにとどめておくべ
きだ。

芭蕉や蕪村が俳句を通じて到達した心境は、自然と一体化する哲学を表現することだった。
人間は自然界の一部なのだという真理、それを賛歌することが俳句の使命なのではないか。

2 特殊技能者

ある哲学者の話をする。以下は、その聞き取り。

若い時、法律をやめて、哲学を志すと言ったら、周囲の全員から反対された。
なぜなら、哲学では食べていけない、哲学はなくても生きていける、そんなものは役に立たな
いといわれた。

その考え方は、社会の実態を反映したもので、哲学者になった今でも、周囲の人たちは正しか
ったと考えている。

「哲学者です」と紹介されると、気の利いた人は、哲学がもっと広まれば、より良い社会にな
るのにと言ってくれる。

しかし、それは幻想である。万人に必要などとは、まったく考えていない。
では、哲学とは何か。それは、ある種の特殊技能である。しかも、ごく少数で十分だ。
スポーツ選手や芸術家のようなもので、いうなれば、人類の付属品である。
絵画や彫刻や音楽や野球がなくても、人類は滅亡しない。食料品の生産とは違うものなのだ。

同じように、職業として俳人になると言ったら、周囲の人は全員反対するだろう。俳句では、
食べていけない。それは正しい意見である。

しかし、芭蕉はその道を選択した。ところが、同じ道を希望した人物に、やめなさいと忠告し
ている。

優れた俳人は特殊技能者である。日本語を使って、詩情を醸し出す。人々はその詩情に酔いし
れる。

もともと、俳句はなくても、人は死なない。人生の飾りのようなもので、付けてもつけなくて
も、人生を大きく左右するものでもない。

それなのに、なぜ、俳句を作り、徒党を組んで、自己の俳句の正当性を主張し、向きになっ
て、他の考え方を批評するのだろうか。

どうせ、人生の役には立たないものなのだから、何が良くて、何が悪いなどと議論するのも、
時間の無駄である。

もしも、このように考える人がいたら、真の俳人にはなれない。俳句は特殊技能であることを
忘れてはいけない。

特殊技能者になるための資質は次のようなもの。
「なぜなのか、すぐに人は、理屈をつけて、人に禁止を要求する。それを言われたら、死のは
じまりと考えて、拒否する。

嫌なことはしない。好きなことを好きなだけやる。得心するまで、やる。
自分だけのものをつくる。そのための努力は無制限とする。
そして、目的を達成するまで、日本一のわがままになる」
芭蕉は社会の規則に従って生きたが、反面、自分勝手に生きたともいえる。したがって、日本
一のわがまま者である。

芭蕉が残したものは偉大だが、なくても、日本が滅亡するようなものでもなかった。
西行、宗祇、芭蕉、蕪村と続いた文人の流れは、その後、宙に浮いている。後継者不在でも、
わが国に問題は生じない。


俳句は芸術なので、周囲から文芸上の批評を受ける。芸術とは、多くの人との交流であり、価
値観の共有である。

自句自解せずなどというのは狭量で、作者の言葉を求める人がいれば、それに応えるのが芸術
家の使命であろう。

語るべき価値ある言葉を持つことが、名誉なのだ。語らなければ、伝えるものも、学ぶものも
なくなる。

また、自分の俳句に対して、他人から批評されることを、先天的に嫌う性格の人もいるが、句
会などで披露すれば、文芸上の批評を受け入れるとみなされる。

しかも、その評価は厳しくなることが多い。なぜなら、美意識に関することなので、夢中にさ
せる偽薬が入っているからだ。


3 芭蕉の神秘世界

芭蕉は通常の語順を変えて、詩情を生む感性を最後に持ってきた。例えば、次の句。

あけぼのや白魚白きこと一寸  芭蕉

 朝方の薄明りの中、一寸の白魚の白さに、美意識を感じたものであろう。
 この句は、当初、「雪薄し白魚しろきこと一寸」だった。もともとは、雪と魚の白さを対比
したものだったが、それは凡庸なので、やめた。

むしろ、初冬の浜に降った雪は余計物と考えた。
白さは、一寸という小さな白魚だけで際立っていて、そこに美しさがあると詠んだ。あけぼの
は創作であろう。

ここで注意すべきは芭蕉独特の語順の倒錯技法である。
素直に詠めば、「あけぼのや一寸の白魚の白きこと」となる。
@一寸の白魚(形として、一寸の白魚)
 A白きこと一寸(色として、白さが一寸)
 芭蕉はAを選んだ。白きこと一寸に詩情を感じたのだ。
したがって、初案の雪の白さは邪魔でしかない。語順を変えて、一寸に焦点を当てた。
 「こと」は曖昧であり、感心しない。おそらく「雪よりもなお白きこと」という意味であろ
うが、雪は消したので、「こと」はいらない。


あけぼのや白魚一寸ほどの白

次に、語順が入れ替わった句をみてみる。

己が火を木木の蛍や花の宿   芭蕉

 本来は「木々の蛍や」「己が火を」「花の宿」という並びである。意味は次の通り。
 木々にとまっている蛍は自分の明かりを花に見立てて、泊っている。
 この句には本歌があり、薩摩守忠度の辞世「行き暮れて木の下陰に宿りせば花や今宵のある
じならまし」とすれば、蛍が花の宿の主となる。

 語順を入れ替えたのは、俳句としての焦点を明確にするためである。
 一句目は白い一寸を、二句目は蛍が宿の主といったところを強調した。文法を乗り越えた技
法に、芭蕉の文才をみた。


 日本語文法を無視して、語順を変えるということは、俳人が表現する世界を、俳句という記
号を使って、再構成していることになる。

 芭蕉が詠んだものは、この世ではない。神秘的な別世界である。それを感じ取る文芸能力
は、天才というしかない。


4 知性なき文人俳句

 桑原武夫の論文「第二芸術論」によって貶められてしまった感のある俳句だが、明治以来の
文人の作品から、知性が失われてしまったことが、ひとつの要因として考えられる。

 それを確かめるために、知性があふれていると思われる文人の作品を読んでみる。
 
猿曳の猿を抱いたる日暮かな  尾崎紅葉
はらわたに春滴るや粥の味   夏目漱石
ある程の菊投げ入れよ棺の中    漱石
興梠の夜鳴いて朝鳴いて昼鳴ける
               内田百
新参の身に赤々と灯りけり 久保田万太郎
新涼の身に添う灯影ありにけり  万太郎
青梅の尻美しく揃いけり    室生犀星
鯛の骨畳に拾う世寒かな      犀星
木枯らしや目刺に残る海の色 芥川龍之介
水洟や鼻の先だけ暮れ残る    龍之介

 これらの句は、筆者が適当に選んだもので、代表句ではないことをお断りしておく。
一読してわかることは、和歌と違って、品位を重んじていないことだ。
 品性を美と考える和歌に対して、そうではないと主張する俳句の世界に、傾きすぎているこ
とがうかがわれる。

芭蕉も「軽み」のひとつとして、次の句を詠んでいる。

 鶯や餅に糞する縁のさき    芭蕉

 しかしながら、日本国を代表する知識人の俳句が、軽みに傾斜していたこと自体が軽率であ
る。ただし、万太郎の句は抒情的に優れている。

 文人は、俳句とは、そのようなものとして、位置づけしてしまった。
 
 知性ある句とはどのようなものか、それを芭蕉から選んでみる。

 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
 野ざらしを心に風のしむ身かな
白菊の目にたてて見る塵もなし
秋深き隣は何をする人ぞ
若葉して御目の雫拭わばや
風流の初めや奥の田植歌
象潟や雨に西施がねぶの花
石山の石より白し秋の風

これらの句には品性の良さ、知性が感じられる。
俳句の場合、直観による認識、感性が重視される。物事に対する思惟による悟性、知性は邪魔
者のように扱われる。

感性は空間と時間によって、表現されるが、人によって異なり、ばらばらである。
それに対して、知性は多様な感性を、思惟によって、論理的に統一してしまう。
たとえば、万太郎の句、「赤々と灯り」というのは、新参の者がいる情景が、その人の心、あ
るいは今後を表している。

明治時代の厳しい労働環境を彷彿とさせているが、意味は哀れさである。しかし、現代なら、
意気込みと考えることもできる。

万太郎の頃、商家で働くことは、滅私奉公で、悲劇の始まりだった。
時代が変われば、感性では実態が不明となる。知性による表現でなければ、俳句は時代を乗り
越えられない。

残念ながら、芸術性も失われたということになる。

 5 芸術観とは

 芭蕉は、俳諧には、三種類あるといった。
寂寞、風流、風狂である。
寂寞とは、「ものさびしくて、気持ちが満たされない様子」をいう。幸福とは言えない状態で
あり、元気が出ないことである。

それを転じて、気持ちを詠みあげ、芸術へと昇華するのが、俳句の素晴らしいところ。
風流とは、上品な趣があること、雅なことを指すが、風流韻事の略称で、自然に親しみ、詩歌
を作って楽しむことをいう。

多くの人が面白さを追求するようになり、室町時代末期から、俳諧となり、現代では、俳句に
含まれる。

風狂とは、瘋癲と同義語で、本来は、仏教の戒律から逸脱した行動を肯定的に評価したもの。
一休和尚が該当する。

戒律や形式に囚われない、人間本来の生き方が、民衆の共感を得た。
既成の権威や権力に抵抗する考え方を表現したものが風狂であるが、現代では川柳と呼ばれ
る。

表現方法をまとめると、次の通り。

芸術観 表現手段 その後の形
 寂寞  詩情   俳句
 風流  情景   連歌 俳諧 俳句
 風狂  批評   川柳として特化

 近松門左衛門は次のようにいっている。
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」
 近松は役者の例を出して述べている。
たとえば、殿様の演技だが、本物の殿様であってはいけない。なぜかというと、本物の殿様が
舞台に上がっても、芸にならないからだ。

 役者は殿様のような振りをするだけで、本物の殿様では見るに堪えない。舞台上の殿様が演
じるのは、嘘なのだ。虚構の中に、芸があり、観客はそれで喜ぶ。

 これはあらゆる芸術に通じる神髄であることに、気がつかなければならない。

 もうひとつ、重要なことに言及する。
 それは、虚構は必然性が必要条件だということ。もし、虚構が偶然だとすると、全くのおと
ぎ話になる。大人が、それで満足するだろうか。

 俳人も同じ。大人が納得するのは、必然的なものだ。意味のない破滅や矛盾に共感する人以
外は。

要するに、虚構であっても、社会的論理性に裏打ちされていなければ、大人の遊びや癒しには
ならない。


 6 源氏から連歌へ

源氏物語から、詩情の例をひとつ。
源氏物語第二帖「帚木(ははきぎ)」。現代風に言えば、箒木(ほうきぎ)である。
ここでいう帚木は、伝説上のもので、遠くにあれば見えるが、近寄ると見えなくなるというも
の。

これは源氏と空蝉の恋愛の気持ちを表現したものと受け取られている。

帚木の心をしらでその原の道にあやなくまどひぬるかな

これは空蝉に会いに来た源氏の歌で、切ない気持ちを詠んだ。
姿が見えるほど近くに来ているのに、会えないという辛い気持ち。訳も分からないまま、迷っ
ているという意味で、「かな」が詩情を高めている。

これに対する空蝉の返歌。

数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木

会いに来た源氏に対して、受領の妻という低い身分を言い訳にして、源氏には会えないという
意味で、自分のことを帚木と詠んだ。伏屋が低い身分を表す。

紫式部は、帚木という伝説上の樹木を例に出して、男女間の切ない詩情を表現した。
源氏物語は平安中期の時代背景として、貴族の感性が描かれている。当時も、様々な災害があ
ったが、物語にあるのは次の四件である。

@ 「須磨」「明石」での暴風雨と落雷による館火災
A 「野分」での台風
B 「椎本」での館火災
C 「賢木」での雷雨
これらも、物語の背景として描かれているだけで、作者にとってはほとんど関心のない出来事
のようだ。

紫式部は人間関係の叙述にばかり、目を向けていて、自然界の変化による人間の心情について
は関心が薄い。やはり、それが貴族の女性の思考なのであろう。

その社会は自力で切り開いていくといったものではない。すべてのことは前世の因縁で決まっ
ているというもの。

こういう考え方だと、何も努力しなくなる。平安貴族が没落していくのは、怠惰の結果であ
る。


それに対して、俳句で取り上げる詩情は社会の動き全体に及んでいる。
歴史的にみれば、俳諧という概念は平安時代からあったが、室町時代になると、連歌となって
流行した。

当時の武士は土地争いに命を懸けていた。前世の因縁などと考えず、土地を自分のものにする
ために、武力で奪い取る努力をしていた。

そうした武士たちに好まれたのが、連歌であり、その題材は生活全般に及んだ。
連歌で重視されるのは、感性の展開であり、思いがけない変化である。調和しすぎるのは良く
ないとされた。

新たな要素を次々と詠み込んで、展開することが好まれた。連歌作者の意表を突く個性の豊か
さが求められた。

連歌は作者が次々と変わり、一句は短いので、その内容には省略や飛躍が多くなり、多義的な
読解を可能にした。

さらに、二句前との句風を避けるという打越といったような規則があるなど、複雑なものにな
った。

連歌の上手な武将は人の動かし方もうまいと思われた。おそらく、連歌は戦いの場における駆
け引きのようなものがあり、上手下手を決定したのであろう。

連歌をうまく作るためには教養が必要で、頭脳の優秀さを示すものになった。
その連歌の発句が独立して俳句になったが、社会全体を掴み、人生全般の詩情を詠むものにな
った。


7 笈(おい)の小文

芭蕉の死後、大津の門人川井乙州は、芭蕉自身が書いた資料を基にして、「笈の小文」を編集
した。

笈とは、仏教修行者が必要なものを入れて背負う箱である。まさに、旅人のシンボルのような
もの。

その序文は名文なので、しばし、俳句の神髄に浸ることにしたい。
2つの部分に分けて考える。
前段は次の通り。

百骸九竅(ひゃくがいきゅうけい)の中に物有り、かりに名付けて風羅坊(ふうらぼう)といふ。
誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。
かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。
ある時は倦で放擲(ほうてき)せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中に
たたこふうて是が為に身安からず。

暫く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を暁(さとら)ん事を思へど
も、是が為に破られ、つひに無能無芸にして、只此の一筋に繋る。


筆者見解
最初に、風羅坊という自己卑下したような名前を名乗っているが、これを芭蕉自身ととらえる
向きもある。

しかし、私は別人を念頭に置いていると考えている。その人物は、一番弟子でもあった宝井其
角である。

其角は近江国膳所藩御殿医・竹下東順の長男として、江戸で生まれた。父親が芭蕉を紹介し
て、14歳で入門させたという。

前段は、其角を強く批判したものになっている。箇条書きにしてみる。
@ 狂句を好み、終生の仕事とする。
A 倦んで放擲し、競争にはしる。
B いつも心はざわついている。
C 立身出世より、俳諧を好んだ。
D 学問よりも、愚であることを悟った。
E 無能無芸でも、やめられない。
これは芭蕉の人生ではない。其角の人生ではないか。
其角は武士として、正規の教育を受けた。それに対し、芭蕉は自らの学問経歴を気にしていた
と思われる。

其角は博覧強記でもあったので、独自の言葉を、句の中で使った。新語をどんどん使う態度は
周囲の人を軽んじ、自らの文才の無さを示しているようなものだ。

すると、芭蕉は敬意をこめて、「あれはうちの藤原定家卿だから」と評した。いわば、新古今
流で、巧緻・難解という意味。

また、周囲の人物を競争相手とみるのは、浅慮で、滑稽でしかない。本当の競争相手は、自分
の心に潜んでいるのだ。

其角は自らの愚かさを知るための教養があったので、宗匠になると、句界に生きた自分を卑し
むことになった。やがて、美意識を忘れ、堕落した。

其角は芭蕉の一番弟子でもあったのに、芭蕉の後継者になることはなかった。学問の世界では
ないので、何も受け継ぐことがないと考えたのであろうか。

俳句は体系化できておらず、学問とはいえない。其角は、それを悟った。
古代ギリシアのプラトンはソクラテスを師と仰ぎ、アリストテレスはプラトンを敬慕した。
学問はそうした心情を形成するが、俳句の世界にはないようだ。
ときには、些細な違いで対立し、同じ流派でも、喧嘩別れや仲違いが多いという歴史がある。
江戸時代も同様で、芭蕉は周囲の俳人を見て、俳諧の道を示すことが必要だと感じたのであろ
う。

後段は、俳諧の神髄について述べている。

西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における其の貫道す
る物は一なり。

しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて、四時を友とす。
見る処、花にあらずといふ事なし。思ふ所、月にあらずといふ事なし。
像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。
心花にあらざる時は鳥獣に類す。
夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化に帰れとなり。
神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
旅人と我が名よばれん初しぐれ
 又山茶花を宿々にして

筆者見解
本文に、「芭蕉の俳諧」を付け加えるべきであろう。
@ 西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶、一芸なり。
A 風雅の道は自然に従い、友とする。
B 見るものはすべて花である。
(美意識をもって見る)
C 月のように思うこと。
(遠くから人間社会を見る心持ち)
D 見るものに花がなければ、獣と同じ。
E 思う心に花がなければ、獣に同じ。
F 自然に従い、帰る。
G 世は定めなきもの。
身の行く末も心もとない。
H 私は旅人と呼ばれたい。
人は一芸を極めたいと願っている。しかし、それは叶わぬ夢だ。そして、挫折という試練が待
っている。

人は特別な存在ではないが、偶然の作用により、知恵あるものとなった。考えることが出来る
ようになり、それが自己の存在を証明する唯一の手段でもある。

俳人は、芭蕉が区画整理し、蕪村や子規が耕した土地で、作物を植え付け、花を咲かせ、果実
をもぎ取り、おいしいといって食べることを目標とする。

その人は、美意識をもって社会を見て、月のように社会全体をくまなく照らし、何事かをつぶ
やき、文にしたためて、後世に伝えようと努力する。   (了)

             
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